終戦後70年の今夏 被爆電車に乗ってみる

いきなり見知らぬ街へ住むことになって、目下大変忙しい。

 

まるで「引越しで連れて来られた猫」状態。 新しいナワバリを探索せねばと、周りをクンクンするのに必死である。

 

地図から始まり、観光マップに食べ歩きタウンガイド、歴史散歩本と読み漁っては出歩いている。広島は日射しが強いのか、アッという間に日焼けして、家人は夜中に目が覚めた時、「横を見たら日に焼けた漁師さんが寝ていて驚いた」そうだ。

 

 

そんな私に、広島在住の友Aちゃんが「被爆電車」の存在を教えてくれた。

 

70年前広島が壊滅状態になったことは、誰でも知っている。でも、原爆投下のわずか3日後、広島の街に市電(広電)が走ったことを、私は、知らなかった。

 

1945年当時、広島にあった123両の市電のうち108両が被災した。でも人々は懸命の復旧作業を行い、被爆後たったの3日で一部区間の運行を再開。市電は、救援物資や人を運んだのだという。

 

原爆をくぐり抜けた市電は「被爆電車」と呼ばれ、一部はなんと現在まで走り続けている。広島在住の友人Bちゃんの娘さんは、「乗った電車がえらく古くて、見たら被爆電車じゃって‥」と語った。

それ位広島は、日常の中に被爆を抱えたまま時を過ごしてきたのだ。

 

そして今夏、戦後70年を機に、往時の塗装で被爆電車を走らせるイベントが企画された。

 

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乗車は予約制。でも難しい会員登録もなく、友達に教わったサイトからメールで申し込みが出来る。予約状況もサイト内でわかるので、乗車日を調整することができる。もちろん、全国から予約可能。

「被爆電車プロジェクト」

http://www.rcc.jp/70/tram.htm

 

 

6/13(土)の一番電車は、さすがに満席だったので乗るのはあきらめて、「被爆列車と原爆ドーム」の写真を撮りに、相生橋までチャリで出かけた。

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ああ、しかし哀しいかな。私はカメラマンではなく、一番電車の前に電柱がバッチリ写っちゃって(><)。「ぎゃー!!○ノミヤさ~ん!」と、思わずはるか遠くのカメラマンさんの名を叫んでしまった。

一番電車の写真はトホホだけど、気を取り直して翌14日午後の回に乗車する。

 

 

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これがアナタ、とんでもない感動で。事実はいつだって、人の想像をやすやすと超えると痛感する。70年前の映像を見ながら、被爆電車で市内を走る私は、どーやって涙をごまかそうかと、必死にまばたきし続けた。

 

 

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電車は貸切運行だが、他の市電も走っているので電停(駅)ごとに停車する。

すると「あ~コレ!復刻版の被爆電車だ~!」という感じの人々が、写メを撮りに寄ってくる。

 

車内のモニターが映し出す70年前の惨禍と、車窓外の幸せそうな人達を見ると、肋骨がぎゅっと締まるようにこみあげてくる想いがある。原爆投下から70年後の未来が、戦争のない日本で本当に良かった。何があってもこのまま、戦争のない日本でいて欲しいと思う。

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電車は広島市内を横断して走り西広島で折り返して、広島駅まで戻ってくる。下車する時に乗車記念のお土産一式がもらえる。広電の運賃は市内一律160円。西広島まで往復すれば320円、それにこの記念グッズがもらえるなんて、不謹慎ながらコスパも良いイベントと言っていいだろう。

 

広島市近辺の人だけでなく、夏休みに中国地方への旅行を考えている人も、「被爆電車」に乗ってみれば、平和を噛みしめる夏になると思う。

 

【RCC×広島電鉄 被爆電車特別運行プロジェクト】

2015年6月13日(土)~8月30日(日)の土・日・祝日

1日2便(第1便10:30/第2便14:00)運行 定員1回25名

[ルート] 広島駅ー八丁堀ー原爆ドーム前ー土橋ー西広島(折返し)ー広島駅

[運 賃] 500円

[申し込み] メールかハガキで応募

[応募先及び問い合わせ] RCC×広島電鉄 被爆電車特別運行プロジェクト

 

(奥岡伸子)

 

 

 

 

 

 

 

 


8 Comments

  1. ひれり

    広島、暑いらしいですね。
    そうそう、そうなんです。
    オットは「日本人として 広島、長崎に行くことは必要だと思う」ってのが持論の人。
    長崎には行きました(合掌)
    広島は、計画を立てるのですが まだ実現していません。
    でも必ず行くからね。
    仕事で「原爆手帳」を手にすることがあります。、
    古ぼけた大事な手帳(更新されないのでしょうか?古い手書きの手帳なのです)に 所有者の方だけでなく、そのご家族の時間も思わずにはいられません。
    記載されているヒストリーが時間旅行をさせるのでしょうか?
    長いお苦しみから 少しでも解放されますように・・。
    被爆電車、一緒に乗りたかったです。

  2. nobuko

    おお、ひれりさん! いらっしゃーい! 見てくれてありがとーん♪

    >オットは「日本人として 広島、長崎に行くことは必要だと思う」ってのが持論の人。

    オット偉いなあ。 私は今回引っ越して来て、でもまだヘタレなので原爆博物館に行けてません。絶対行くけど。

    >被爆電車、一緒に乗りたかったです。

    本当ですねえ。

    でも一緒に乗ったら、滂沱の涙オバサンが2名(笑)

    当時の映像の中には、懸命に命を守ろうとする医療者の姿が残されていて、胸を打ちます。

    赤十字病院の映像に、爆風で刺さったガラスまみれの青年と手当てする看護師が映っているのですが、これがなんと両名ともご存命で、今回ドキュメンタリーで70年ぶりに会うんです。ひれりさん、声あげて泣いちゃうかも。

  3. swimmama

    40年も昔の同僚の先輩が広島高師の学生の時、被曝されました。

    はだしのゲン、そのままの世界だったよ。
    市電が火まみれになって女学生が泣き叫んでいた。
    私は原爆の後、市電に乗って、後始末に行ったものです。
    ・・・・・といろいろ話して下さり、
    被曝手帳も見せていただきましたっけ。

    市電に乗って・・・・と言われたことを今回思い出し、
    そうか、3日目には走っていたのかと改めてその方の言葉を思い出しました。

    私たちの年代は身近に戦争体験者がいっぱいいて、
    戦争の悲惨さを話してもらいましたが、
    今は語れる方も少なくなっています。
    久しぶりに広島に行ってみたくなりました。

  4. nobuko

    おお、swimmamaさん、いらっしゃいませー!

    >私は原爆の後、市電に乗って、後始末に行ったものです。
    >・・・・・といろいろ話して下さり、

    そういう話を直接の知人に聞くのって貴重ですね。時代の証人。

    東日本大震災の時も胸を打つ事が多くありましたが、災害に遭った時、人は本当に懸命に日常を取り戻そうとするんですね。

    焼き払われた街を、市電は、デッキからはみ出す程の人を乗せて走っています。運転士も戦争で失われたので、一部区間では、広島電鉄女学校の生徒が電車を走らせたのだそうです。

    女学校の生徒ですから、今で言う女子高生。女子高生が運転士として必要になる程の状況だったんだと、遅まきながら感じ入ります。

    >今は語れる方も少なくなっています。

    広島では被爆の話を将来へ残したいと、戦争を知らない世代の語り部が登場してきているようです。

  5. YUKO

    被曝列車、私ものってみたい。
    こんなのみると、やっぱり外国まで行って武力を使おうとする法案に疑問を感じる。数で決められるので、あの法案通されてしまいそうだけど。被曝国にある原発っていうのも・・・。
    人間は懲りない生き物だよね〜。

  6. nobuko

    YUKOさん、いらっしゃいませ! 読んでくれてありがとうです。

    >被曝列車、私ものってみたい。

    これは、いろいろな方に乗って欲しいと思いました。

    原爆の記録ドキュメンタリーを見ながら、ともあれ戦争のない広島を走っていると、本当に胸を突かれます。戦争しちゃ、だめですよね。

    今回法案は、=徴兵制につながるようなものじゃない。外国で日本人がテロ組織に捕まっても、武力を使えなくてどうやって助ける?死ぬかもしれない救出を、他国に押し付けるのかと言う意見にもうなづく部分はあるんですけどねえ・・かつて軍部が暴走した歴史もあるから、不安。

    >人間は懲りない生き物だよね〜。

    ホントですね。

    21世紀にもなって、月まで行けても、紛争を平和的に解決する方法がないなんて。

  7. けい

    わたしは長崎で高校大学を過ごしました
    生活の中に被爆のことはいつも含まれている町でしたね
    特に大学は被爆中心地だったので
    そこここに痕跡がありました

    広島長崎を知るひとが
    増えるのを嬉しく思います
    (資料館はツライから無理しなくてもいいですよー)

  8. nobuko

    わーけいさんは、高校大学が長崎ですか。素敵な街ですよね。

    >生活の中に被爆のことはいつも含まれている町でしたね

    忘れること出来ない、忘れちゃいけない惨禍ですもんね。

    至る所に慰霊碑が建っているし、被爆を乗り越えた建物や樹には、その旨を書いたプレートがある。

    >広島長崎を知るひとが
    >増えるのを嬉しく思います

    人は、忘れてしまう生きものだから、ここにかつてあった時間を憶えていることは大事だと思います。

    >(資料館はツライから無理しなくてもいいですよー)

    (^^;)広島の子ども達は、大体小さい頃遠足などで行って、怖い思いをするそうですね。ヘタレなのでまだ行けてないけれど、ガイドブックにきっちり紹介されているので、主な収蔵品はほぼ知っています。

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