マンハッタンのリトル・ジャパン − East Village (その1)

East Villageに時々足を向けるようになったのは比較的最近のことだ。気に入った和食の店をEast Villageで見つけ、娘がグリニッジ・ヴィレッジに住み始めたからだ。

 

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(Astor Place駅前風景)

 

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マンハッタンではupper West Sideに居ることが多い私にとっては、East Villageを含むlower East Sideは、グリニッジ・ヴィレッジのように地下鉄一本で行ける便利な場所ではない。

West Side側を走る地下鉄で42丁目まで行き、East Sideに行く為にシャトルに乗り換え、それから、今度はEast Side側を走るダウン・タウン行きの各駅停車の地下鉄に乗り換え、Astor Place駅で下車することになる。

初めてEast Villageに行った時の印象は悪かった。メイン・ストリートだというSt. Marks通りには、Tatoo(刺青)、ボデイ・ピアスに水パイプの店があり、道を行き交う人々もパンク・ファッション系。East Villageの歴史が示すように、ちょっといかがわしい雰囲気を漂わせた町だった。

 

 

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(St. Marks通りの風景)

 

 

 

 

マンハッタンの他の地域同様、このあたりも17世紀頃はオランダ人の所有地だった。19世紀中頃にはたくさんの貧しいアイルランド人、ドイツ人が移住し始め、20世紀初頭にはウイーン、ベルリンに次いでドイツ人の多い地域だったという。ところが1904年、ジェネラル・スローカム(General Slocum)号という名のニューヨーク港遊覧船が火災事故を起こし、乗船していた1000人以上のドイツ系アメリカ人が死亡するという大惨事が起こった。この大惨事は同時にドイツ系社会をも消滅させることにもなってしまった。それ以後は、ポーランド人、ウクライナ人、ユダヤ人が移住し始め、今も、ウクライナ料理店や教会、ユダヤ系シアターがEast Villageには点在し、東ヨーロッパ的雰囲気を漂わせている。

 

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(ウクライナ料理のVaselka)

 

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(ユダヤ菓子のハーメンタッシェン)      (歴史を感じさせるアイリシュ・パブ)

 

 

長い間、East Villageは単にlower East Sideの一部としか思われていなかった。しかし、戦後すぐに、ヒッピーの先駆け的存在の「Beatniks」がEast Villageの新しい住民となり、1960年代になってからは、ヒッピー、音楽家、様々な芸術家達が住み着くようになった。それまでは単なる労働者階級の町だったのが、次第にユニークな文化を持ち始め、East Villageの名前が知られるようになっていった。

East Villageでの音楽、芸術活動について書き始めるときりが無いのでここでは触れない。ただ、アンデイ・ウオーホールやピンク・フロイドあたりがここを活動の場にしていたと言えば、当時のEast Villageの雰囲気がおわかり頂けるだろうか。映画にもなったヒット・ミュージカルの「Rent」。「Rent」は1960年代、AIDSとドラッグ、犯罪の温床になっていた頃のEast Villageを舞台にした「ラ・ボエーム」が原作のミュージカルだ。

 

ここ20年近く、マンハッタンは安全になってきていると多くの人が言う(と、言っても、日本の安全度とは比べ物にはならないけれど)。検事出身の前ジュリアーニ市長の頃から、以前はストリップ劇場が多く、女性一人では歩き難かったポートオーソリテイ・バスターミナルや42丁目あたりが、目に見えて健全化してきた。この動きがSoHo、TriBeCa、ブルックリンのウイリアムスバーグにも見られ、East Villageも例外ではなくなった。

 

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(コーヒーの美味しいカフェ:Bean)

 

 

この動きと関係があるのだろうか。いつの間にか、East Villageは「Little Japan」の様相を呈するようになり、美味しい和食を食べたさに、ついつい、行ってしまう町になっている。(続く)(スナイダー純子)

 


2 Comments

  1. YUKO

    続きを楽しみにしています。
    日本ではアメリカの銃の規制問題がニュースで話題になっています。子供や女性用のカラフルな銃まで販売されているとか。日本に住んでいる我々からすると、あんなに痛ましい事件が起きているのに、なぜ規制できないのか不思議でなりませんが、アメリカ人にとって、またアメリカで暮らしていると銃に対する考え方も異なるのでしょうね。今度、そのあたりのことも書いていただけると、外国を理解する参考になるのですが…。

    1. junko

      Yukoさん、コメントをありがとうございます。その2ではたくさんの日本の食べ物屋さんを紹介しますね。アメリカの銃の規制問題、日本の方が理解できないのも当然です。アメリカに長く住んでいても完全には理解できませんから。でも、今回のアルジェリアでの人質殺害の件でも、テロに悩まされ、フランスからの独立に多くの血を流したアルジェリアや、同様にテロのターゲットになる事の多い欧米と、長い間、平和だった日本の間に、人質の人命に対しても温度差があるように、銃規制に関しても、英国との独立戦争以来、自国、自分自身を守る為に、国民が武器を持つことを憲法でも認められている国の事を、秀吉の刀狩り以来、400年以上も一般庶民が武器を持たない日本人の感覚では、なかなか、理解できないかと思います。私ももう少し、勉強して、アメリカの銃規制の問題をブログに書きたいと思います。

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