医師から余命1カ月って宣告された父。
うだるような暑さの8月初めに入院して、1ヵ月がたった。
食欲が少しずつなくなり、日々弱っていく。
ろうそくの炎が少しずつ細く、弱まって、ゆらいでいるような感じだ。
私には3歳上の兄がいるが、ちょっとしたことで揉めたのがきっかけで、ここ10年以上会っていない。
兄の方から、父や私に絶縁を宣言した。
母が入院していたときは、一度たりとも見舞いに来なかった。
亡くなったときには、父が知らせたが、葬式にも顔を出さなかった。
そのときのことは、このブログにも書いたので、興味のある方は読んでください。
母の葬式にも来なかった兄に、今さらこの状況を知らせるつもりはなかった。
私に兄はいない。
もともと一人娘なんだ。
だから私が一人で、何やかんや父のケアをするのは当たり前なんだ。
そう考えるようにしていた。
兄は、いつか、父が亡くなったことを、ずっと後になって知って、何も手を差し伸べなかったことを、そして和解しなかったことを、後悔すればいい、と思う意地悪な気持ちもあった。
海外で暮らす従姉妹にメールで、父の病気のことを知らせた。
親戚付き合いをほとんどしていない私にとって、家族の事情をいろいろわかっていて、気楽に話せるのは彼女ぐらいだった。
夫以外の誰かに、今の状況をわかって欲しい、という気持ちがあった。
海外で暮らしているというのは、ほどよく距離があって都合がいい。
お見舞いに来てもらったりと、相手に負担をかけないのも調度いい。
従姉妹からはすぐに返信が来た。
とても心配してくれていることが、その文面からわかった。
そして、そのメールの中に「本当に、もっちゃんには知らせないつもりなの・・・?」と書かれていた。
″もっちゃん”とは、兄のことだ。
子どものときに、そう呼ばれていた。
たった二人の兄妹なのに、本当に知らせなくていいの? とそのメールは私に問いかけていた。
知らせない、という決心がぐらついた。
本当は誰かに、「知らせた方がいいよ」と背中を押してもらいたかったのかもしれない。
意地をはっているときではない、と。
私も父も、兄と会わなくなってから引越しをしているので、兄は私たちが、今どこに住んでいるか、どうしているかを知らない。
連絡先も知らない。
本当は連絡をとりたかったのに、とれなかったのかも・・・・・・
いいや、そんなことはない。
連絡をとりたいと思えば、調べることは簡単だ。
私が運営している編集制作事務所の名前で検索すれば、HPはすぐにヒットする。
フェイスブックでだって、調べられる。
連絡しようと思ったことなどないに違いない。
嫌、そんなことがどうでもいい。
何も言わないが、父は本心では兄に会いたいのではないだろうか。
父に無念な気持ちを残させてはいけない。
そう思い直し、この状況をやはり兄に知らせるべきだと決心した。
でも、電話で話をすると感情が抑制できないかもしれない。
家に電話をして、兄嫁のキヨと口をきくのも嫌だ。
だから、メールをすることにした。
私は兄のメールアドレスを知らない。
兄の会社のHPを検索して、そこから会社の代表のアドレスにメールした。
HPを見ると、兄は知らない間に、その会社の代表取締役になっていた。
メールの内容はこうである。
ヤマダモトヤ様
会社へプライベートな件でのメールで申し訳ありませんが、
個人のメールアドレスを知らないのでお許しください。
突然ですが、父の余命がもうわずかです。
母の葬儀のときにも連絡をしてこなかったぐらいですから
関心のないことかもしれませんが、
世間一般常識としては、一応、お知らせしておくべきかと思い
メールしました。
現在の入院先は、総合T津中央病院(4階)です。
病院のHPアドレスも添えた。
皮肉っぽい書き方になってしまった。
それでも、私が病院にいない間にでも、父と会ってもらえばいい、と思っていた。
朝の9時頃にメールしたら、11時には返事のメールが入った。
以下がその文面だ。
ヤマダヨウコ様
メール見ました。
苦労かけます。
「覆水盆に返らず」と言いますが、今から何をしても良い結果は得られませ ん。
非常識で親不孝な兄きでゴメン。
親が死にそうなのに、「覆水盆に返らず」って・・・・・・
盆を自分でひっくり返して、水をぶちまけといて、その言い草はないでしょう!!
もうすぐ、父は死んでしまうというのに。
涙がこぼれた。
この涙は怒りなのか、情けさなさのか、わからない。
メールなんかしなければよかった。
兄からすれば、家族の絆は、もう何年も前に、とうに切れていたのだ。
それをあれこれ思い悩んで、メールなんかしてバカみたいだ。
これで、今後、もう二度と、一生死ぬまで、兄とは会うことも、連絡を取り合うこともない。
(ヤマダヨウコ)