夫婦・家族

肺ガン末期の親を見送った顛末7 「食べることは命の灯 何を食べても味がしないって悲しい」

父が入院する病院までは、自宅から電車で3駅ほど。

病院そのものも駅近にあり、マルイやイトーヨーカドー、ドン・キホーテなどもすぐ近くにあり、本当に便利。

病院そのものは、かなり古いけど、ここに入院できたのは、ラッキーだった。

 

それにしても、父は病院で出される食事を、ほとんど口にしていないようだ。

医師からは「好きなものを食べさせてあげてください」と言われていたので、少しでも食べてもらい、体力をつけてほしいと、好物を作っては毎日せっせと運んだ。

 

あるときは、メバルの煮付けを。

あるときは、ハモの湯引きを。

あるときは、神戸牛とマツタケをすき焼き風に煮たものを。

「肉はやっぱり神戸やなぁ~」と言っていた父のために、神戸牛を求めて、銀座の三越まで買いに行った。

「神戸牛なんて久しぶりやなぁ~」といいながら一口、二口食べてくれた。

天然鮎を自宅のグリルで塩焼きにして、アルミホイルに包んで冷めないうちに持っていったときは、1尾全部食べてくれた。

これはヒットだったようだ。

 

あんなに食べることが好きで、健啖家の父だったのに、ここまで食が細くなるとは。

食べることは命をつなぐことなのに。

 

「どうしてあんまり食べないの?」と聞くと

「味がしない」と言う。

今や食べることが苦痛なのだ と言う。

 

3年前、母が亡くなり、一人暮らしになった父が高齢者賃貸住宅に住むようになったとき、その施設の食事サービスを利用するようになった。

しかしそこの食事は、栄養バランスは考えられているものの、父の口には合わなかったようだ。毎日3度、同じダイニングで食事をするのに、親しい友人もできず、好物も出てこず、さりとて外食に出かけるでもなく……。

徐々に食べることに興味を失ってしまったのだろう。

せめて1週間に一度くらい、父と食事をともにしていたら、ここまで拒食症のような状態にはなってはいなかったのではないか。

当然、病気にも早く気がついて、対処できていたはずだ。

それなのに、私ときたら、ここ半年ほどは、父と会うのがなんとなく面倒、という思いがあって、あまり連絡をとっていなかった。

 

私が今、毎日、せっせと食事を作って父のもとへ運ぶのは、父を放ったからしにしておいたことへの罪ほろぼし。贖罪のためであり、何よりも、自分の気持ちをラクにするためのものなのかもしれない。

 

いつものように、夕方病室に行くと、看護士さんが言った。

「お嬢さんが来たら食べるって言われて、お昼、ぜんぜ食べなかったんですよ」

私が持ってきたものでないと食べないというのは困ったことだが、私が来るのを楽しみに待っていてくれているらしい。

 

明日は何を作ってもってこようか、と父の好物に思いをめぐらす。

今の私にできることは、父の好物を運ぶことくらいしかないのだから。

 

(ヤマダヨウコ)

 

 



 




2 Comments

  1. ヨウコ

    デイジーさん。後悔先にたたず。あのとき、ああすればよかった、こうすればよかった、と思っても、どうしようもないんですよね・・・。

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