夫婦・家族

2「変容する家族関係」

沖縄の離島で夏休みを楽しんでいるときに夜中の電話。父より入院中の母が危篤との知らせを受ける。一時は持ち直したので、このまま大丈夫かと思っていると、東京へ帰る前日の夜に訃報が入る。


羽田空港から両親の家に直行すると、父は自宅に戻っていた。母の遺体は病院に預かってもらっているという。

母がまだ元気なときから夫婦で話し合い、どちらが先に死んでも、通夜や葬儀はしない、遺骨は伊豆大島の海に散骨する、墓もいらない、と決めているという。

親戚のほとんどが関西居住で、普段から付き合いがないから、葬儀に呼ぶ必要がない。信じる宗教も持たない。家族だけで荼毘にふせばよいという考えなのである。伊豆大島は以前に旅行に出かけた先で、楽しかった思い出があるのだろう。

午後になって病院から紹介された葬儀屋が打ち合わせに来た。火葬場の予約、病院からの遺体の搬送などをお願いすると、他に何もすることがなくなった。

小さなダイニングテーブルを挟んで父と対峙したが、何を話していいのかわからない。

沈黙が続いたあと、世間話でもするように父にたずねた。

「キミコさんには連絡したの?」

キミコさんというのは奈良に住んでいる母の妹で、親戚付き合いのほとんどないヤマダ家で、唯一交流のある人だ。

「連絡はしておいたよ。遠いし、キミコさんも足が悪いみたいやから、葬儀はこっちでやるから、わざわざ来なくてもエエよ。落ち着いたら、こっちから行くわって言うといたわ。」と父。

「お兄ちゃんには連絡したの?」

「した」

「それで……?」

「『そうか~』って言うただけやった」

「それだけ? すぐこっちに来るとか言わなかったの?」

「……」

「本当にちゃんと連絡したの? 連絡したと思いこんでいるだけで、忘れてんじゃないの?」

最近、物忘れの激しい父に、私は確かめるように聞いた。

「今朝、会社に電話したんや」

「そう……」

私は再度、電話をしようかと考えたが結局やめた。

本人が来るべきだと思えば来る。来たくないと思えば、私がいくら電話で言ったとしても来ないだろう。今回のことで、私の兄がどんな人間なのか確かめられると思った。

結局、兄からその後の連絡はなく、葬儀の日にも来ることはなかった。兄は東京の都心。親は神奈川県の藤沢。同じ関東圏に住んでいながら、親の葬儀にも顔を出さない。彼の心をここまで頑なにしているものが何なのか、わからない。

誤解やけんかがあったとしても、それをなんとなく許せるのが家族ではないかと思っていたのだが、そうではないようだ。そして、家族の関係性は、親と子どもの年代や、子供が結婚した相手、経済性などさまざま要素によって変容していく。

わがヤマダ家は両親と長男・モトヤ、長女・ヨウコの4人家族。典型的な核家族だった。

父は岡山の生家とは断絶状態にあり、我が家には親戚付き合いというものがほとんどない。私たち兄妹が幼い頃に父の田舎に行ったという記憶もない。一方、母方の親類は奈良にあったが、そういった父のもとにあって、母の親戚づきあいも薄いものになっていた。

私が幼い頃は兵庫県の宝塚市に住んでいた。大阪のベッドタウンで、すぐ近くに山があり、自然が豊かな土地で、田舎育ちの父は家族を連れて春にはワラビ採り、夏には鮎釣り、秋にはキノコ狩りへと出かけ自然と親しんだ。親戚づきあいが希薄な分、家族関係は濃密だったような気がする。

父は広告代理店で営業の仕事をしており、なかなかのやり手だったようだ。時は高度成長時代、華やかに時代を生きてきたのだが、堅実性には乏しい人だった。派閥争いに巻き込まれ、出世の見込みが断たれた後は、早期退職をし、会社を起こすも失敗。2~3年で退職金などの財産をすべて失ってしまった。

兄のモトヤは、国立大学を出て、東京で就職。優等生で、優しい性格のよくできた人間だと周囲の誰もが思っていた。

父が起業した会社を閉じたのは60代後半の頃、私も兄も東京で仕事をしており、関西に戻る予定はなかったので、「どうせなら東京で暮らせば」と両親の上京を誘った。

単純に、家族みんなが東京で暮らせば、いつでも会えるし、いろいろ助けあえるし、と思っての発案だった。これから親が歳をとって、何かあるたびに大阪まで帰るのは大変。生活を一から立て直すのなら、東京で再スタートを切ればいいのでは、と思ってのことだった。

当時、兄は結婚し、代々木上原にある奥さんの実家の一画で暮らしていた。長屋式のとてもオンボロで狭い家だったが、地の理は抜群だった。一方、私は独身で賃貸マンション住まいだったので、両親は一時的に私の家に同居。その後、両親はマンションの管理という仕事を見つけ、千葉の松戸の方へ引っ越していった。

思えばこの頃から10年間くらいが、子ども時代を別にして、ヤマダ家の家族関係が最もうまく行っていた時代である。

兄夫婦には長女が生まれ、3人家族となった。私にも夫(パートナー)ができた。両親も元気だった。誕生日だ、七五三だ、クリスマスだ、正月だと、ことあるごとに集まり、家族旅行へも出かけた。私と夫、兄、父親というメンバーで釣りにも再三出かけた。一緒には暮らしていないが、誰からみても、本当に仲のよい、絆の深い家族だったと思う。

その雲行きが怪しくなったのは、父が70歳を越え、体力的に仕事を続けていくのが厳しくなったので、年金生活に入ると宣言したあたりからだ。

マンションの管理の仕事をやめるにあたって、今住んでいるところを引き払わなければならない。これから住むところを探さなければないけど、その辺りがいいか、考えて欲しいと言ってきた。

当時、兄は代々木上原、私は狛江に住んでいたので、小田急線沿線の町田か百合ケ丘あたりに住まいを見つければ便利なんじゃない、と考え、年寄りが住んでも快適そうな物件を探していた。

父は常々「老後、子どもの世話になるつもりはない。会社勤めを長年やってきたおかげで、年金で十分にやっていけるから」と言っていたので、その言葉をそのまま受け取り、必要なときだけ、兄妹でサポートすればいいと考えていた。

サポートするといっても、その時々でできる人がやればいい。私たちも自分の仕事や生活がそれなりに大変。だから、長男だから親の面倒をみなければならないとか、兄嫁だから親の世話をしてあたりまえとも思わない。私だってできることはやる。誰かが親のために犠牲になることはない、と考えていた。

そんなある日、父から私と兄に召集がかかり、新宿のふぐ料理屋の個室に呼び出された。

最初は煮こごりや白子豆腐などの前菜をつつきながら、たわいもない世間話をしていた。

伊万里焼の皿に、菊花のように並べられたふぐ刺しが出てきた頃に、父が口火を切った。

「仕事をやめて、今の家を引っ越すことにした。今後もお前たちに迷惑をかけるつもりはない……」

私は内心「また、その話…。前にも何度も同じこと聞いたよ。だから今、引越し先を探してるんじゃん」と思ったいたら

「この前ママが一人で家にいるときに、キヨさんがうちに来たらしいんや」と父の話は続いた。

キヨさんというのは、兄の奥さんである。私や兄が忙しいときに、キヨさんが両親のところに足を運んでが様子を見てくれるのは、ありがたいことだと思った。

「その時、キヨさんに言われたらしい。『うちはこれから家を建てます。私の両親の家の土地と私たちが今住んでいる家の土地も一緒にして、二世帯住宅に建て替える計画です。一階にアパートも作ります。ですから今後私たちが、お父さんやお母さんと一緒に暮らすことはありません。モトヤさんとの同居は期待しないでください』って」

なごやかだった場の空気が一瞬にして凍りついた。兄の顔も少しひきつっている。

「何、それ……」と私は思った。

私と兄の奥さん、キヨさんは同年代ではあるが、まったく共通点がない。学校を卒業してからも、結婚した後も、一度も外で働いたことのない人。ハワイに行くならJALでないと嫌、という人。文章を書く仕事に憧れてライターになり、海外へはHISで行く私とは、話がまったく噛み合わない。でも嫌いだとか、疎ましいと思ったことは一度もなかった。兄が選んだ奥さんなのだからと思い、仲良く付き合ってきたつもりだった。それなのに……。

「きっとキヨさんは、自分たちがこれから家を建てるのに、モトヤがその中にパパやママの家も作りたいと言い出しそうで心配になったんとちゃうやろか。モトヤは親思いで優しいからな。キヨさんは不安になったんや。そやから、先にこっちに釘さしといたほうがエエと思たんとちゃうやろか。パパもママも、モトヤに迷惑かける気もないし、ましてや嫁さんの実家に建てる家で暮らしたいなんて思わへんから。キヨさんによけいな心配せんでエエよって、言うといてくれ」と父。

「それにしてもキヨさんは、なんでわざわざ、そんなこと言うの? しかもママが一人のときに。これからどこで暮らしていこうか、まだ決まらずに不安もあるかもしれへんのに、わざわざそんなことを言いにいく必要がどこにあるの?? キヨさんの真意がわからへん」と私。

両親はもち家もなく、財産もない。一方、兄嫁キヨさんのの実家は代々木上原に土地を持ち、そこに今、キヨさんの両親と兄夫婦が住む二世帯住宅を建てる計画が持ち上がっているのだ。うちの両親は、少々肩身の狭い思いを持ちつつも、内心では「兄を婿養子にやったわけではない」と思っていたのに違いない。しかし、そのことについては口出しをしていなかった。

兄は反論する。

「キヨはそんなこと言うてないよ」

「じゃ、なんでママがなんでそんなこと言うの? 」

できるだけ冷静に言葉を発するように注意したが、少し語尾が震えていたかもしれない。傍らで、誰も箸をのばさないフグ刺しの表面が、チリチリと乾きはじめていた。

つづく

(ヤマダヨウコ)







 

 

 


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