夫婦・家族

わたしたち、もしかして仲良し家族? 母の介護を通して3 「治療中のはずなのに『緩和ケアひと』なの?」

7月、放射線治療がはじまった。医大に入院して3週間。

(父と離れれられるので)母はたいそうご機嫌で、前向きだった。
「(肺転移した)がんが小さくなったら、いいねぇ?」
「うん。ゆっくりして来んね。」

病室のロッカーに荷物を納めて、担当医、看護婦さんに栄養士、薬剤師さんにも挨拶して、わたしの任務は終了。あとは、プロにまかせておけば安心だ。父の食事は妹が請け合ってくれたし、少しのんびりできるかも?

 

 

わたしは当初の予定通り、沖縄座間味村への家族旅行を決行した。お目当てはボートシュノーケル。今年はマンタにこそ会えなかったが、お天気に恵まれて、海カメやクマノミはばっちり見えた。夜は民宿のテラスで宿泊客みんなでゆんたく(飲み会)したり、浜辺のパラソルの下で青く輝く海を眺めながら昼寝したり。実家のこ となど忘れ切って楽しんだ。(旅行記は →こちら

クマノミ

 

 

そして、翌週。
完熟マンゴーをお土産に病院に行くと、母はびっくりするほど弱っていた。
「脇腹のところがやっぱり痛くて、主治医の先生に言うんやけど、全然聞いてくれんとよ」
「先生はなんて?」
「『どうしようもないことを言わんでください』って言われた。…わたし、もう死ぬとやろうか? 」

外来の女医さんはとても優しくて母は全幅の信頼を置いていたが、入院時の主治医は30才くらいの若い青年医師に変わっていた。うつ病で何にでも不安がる老女(母のこと)を扱いかねているのだろうか?

 

べそべそ泣く母に困惑しながら看護婦さんに相談すると「先生が、ご家族も一緒にお話したい」とのことで、個室を準備してくれた。

父母わたしと青年医師に看護婦さん。
「母が、痛いのを気にしているのですが…?」
おそるおそる口を開くと
緩和ケアのひとは、しょうがないですもんね」

 

 

え?

母は「緩和ケアのひと」なの?
放射線治療じゃないの?
緩和ケアって、ホスピスとかで死に至る最終段階にすることじゃないの?

 

「えーっと、放射線治療じゃないんですか? 緩和ケアなんですか?」
「積極的な治療はしないと決められたでしょう」
「手術や抗がん剤はしないけれど、放射線治療を選択したはずですが?」
「はい、ですから(緩和ケア)」
「?????」

 

ここでわたしはようやく気がついた。つまり、医師から見ると 手術や抗がん剤をしないということは「積極的な治療をしない=緩和ケア」というわけだ。
女医さんは上手にオブラードにくるんで母がショックを受けないように話してくれたけれど、青年医師はストレートに「緩和ケアのひと」と呼ぶわけだ。
ひとの言葉に敏感で、ああ言われた、こう言われたといちいち気に病む母は、そう呼ばれて、もうすぐに死ぬんだと絶望感にさいなまれたに違いない。本当に痛いのは、脇腹じゃなくって心の傷。

 

わたしが助けてあげなくっちゃ!

 

「『緩和ケアのひと』とおっしゃいますが、それは、すぐに…例えばもう1ヶ月くらいで亡くなるという意味ではないんですね?」
「はい?…いや、そういうことでは…」
青年医師は鳩が豆鉄砲を食らったみたいにきょとんとした顔をしていた。
そう呼ばれた患者が、自分がもうすぐ死ぬのだと思い悩んでいたことに、彼は全く思い至ってなかったらしい。

 

● 今回の放射線治療をもって、積極的な治療は終了するが、すぐに亡くなるわけではない
● 治療後の相談窓口はかかりつけ医(パーキンソン病の個人病院)
● 退院後、予定通りホスピス見学と診察

 

 

以上のことを確認しあって、母はようやく落ち着いた。

「やっぱり、けいちゃんに来てもらってよかった。なんかおなか減ってきたよ」
マンゴーを平らげて母はようやく落ち着いた。
「もっと食べる?」
「うん」

冷蔵庫は、モロゾフのプリンやゼリーでいっぱいだった。それは母の好物で、妹のちかこが洗濯物を取りにくる度にせっせと補充しているらしい。

 

「でもまぁ、そういうことなんやろうなぁ」
帰りの車で父がつぶやいた。母の命は尽きかけている。それは紛れもない事実で、わたしも、今日ようやくそれが呑み込めたのだ。

母と一緒にいられる時間はあと少し。
心穏やかで幸せな時間が少しでも多く占めるように、できるだけことをしようと思ったのだった。(この時は)

 

 

花村桂子


6 Comments

  1. nobuko

    何だか、とても腹立たしい。

    青年医師のコミュニケーション能力の低さは、プロにあるまじきことなのではないでしょうか。

    私は、姑(末期でガンが発覚:緩和ケア病棟に入り11ヵ月後亡くなる)と舅(肺気腫が悪化:人口呼吸器装着し療養病院で3年半過ごし亡くなる)と2人を看取ったのですが、その間、医療者の心無い物言いに怒ったり、看護師の誠意あふれる言葉に感涙したりしました。

    >そう呼ばれた患者が、自分がもうすぐ死ぬのだと思い悩んでいたことに、彼は全く思い至ってなかったらしい。

    いくら若くても、プロの医療者としてどうだろうと言いたい!

    気力がどれほど治療に大事か、医者ならば知って欲しいです。
    でも、今回のお話で意外だったことが1つ。

    > 手術や抗がん剤をしないということは「積極的な治療をしない=緩和ケア」

    私は「放射線治療」も積極的治療の中に入るのだと思ってました!

    「積極的治療をせず、対処的に痛みや不快な症状を取ることでQOLを維持しつつ、自然死までサポートする」ことだと思ってましたが、その中に放射線治療も入るなんて考えなかった。

  2. YUKO

    私も父を肺がんで亡くしています。この文章を読んでいたら、なんとなく父のことが思い出されて、涙してしまいました。
    私の父は入院先ではよかったのですが、最初に診察に行った大きな病院では腹立たしい思いをしました。
    こういうのって怒りをぶつける矛先がないので、よけいに腹立ちますよね。

  3. 花村桂子

    nobukoさん
    >何だか、とても腹立たしい。
    一緒に怒ってくださってありがとうございます

    >私は「放射線治療」も積極的治療の中に入るのだと思ってました!
    >「積極的治療をせず、対処的に痛みや不快な症状を取ることでQOLを維持しつつ、自然死までサポートする」ことだと思ってましたが、その中に放射線治療も入るなんて考えなかった。
    そうでしょ!
    わたしも「放射線治療」は「治療」だと思っていたのですよ
    治療してるのに「緩和ケアのひと」って呼ぶなんてヒドイですよね

    緩和ケア病棟に11カ月入られていたとのこと
    母の場合は1か月くらい切らないと実際には入れない模様です
    なにせ県に1か所5部屋ですからね┐( -“-)┌

  4. 花村桂子

    YUKOさん

    >私の父は入院先ではよかったのですが、最初に診察に行った大きな病院では腹立たしい思いをしました。
    同じように腹立たしい思いをされたのですね

    >こういうのって怒りをぶつける矛先がないので、よけいに腹立ちますよね
    ここに書かせていただいて、コメントまでいただいて、癒されています

  5. nobuko

    >わたしも「放射線治療」は「治療」だと思っていたのですよ
    治療してるのに「緩和ケアのひと」って呼ぶなんてヒドイですよね

    治療というのは、「治」す為の「療法」の略ですよね多分?
    じゃあ放射線は、「積極的」に入らないってことなんですかね?

    そんなのテクニカルタームじゃん!そういうことこそちゃんとアナウンスしろよって言いたい。

    今はインフォームドコンセントしなきゃってんでやたらとカンファレンスがあるのですが、
    これがまあ、「その説明を聞いて、はい以外に何か言えるんですか?」って内容が多い。
    で、後からこういう事が解るんですよね。

    舅と姑を看取った私は、長生きに熱心じゃなくなりました。それよりも、最後をあんまり苦しくなく逝きたいなーって。

    >緩和ケア病棟に11カ月入られていたとのこと
    >母の場合は1か月くらい切らないと実際には入れない模様です
    >なにせ県に1か所5部屋ですからね┐( -”-)┌

    都下の緩和ケア病棟はもっと多いですが、分母となる人数がケタ違いですから・・状況は似たり寄ったりです。姑の場合は最後の半年位を緩和ケア病棟にお世話になりましたが、そのベッドを確保するために義妹が文字どおり全力を尽くしましたです。

    とても良い病院で姑もきっと満足して逝けたはずなのですが、解散になってしまって・・今は経営が変わっているそうです。あんないい病院が解散になるなんて、世の中変だと思います。

  6. 花村桂子

    nobukoさん

    >そんなのテクニカルタームじゃん!そういうことこそちゃんとアナウンスしろよって言いたい
    病院関係者にとっては日常でも
    こちらは身内ががん末期で終末期に入るのは初めてですからね
    院内の常識に???でした

    >とても良い病院で姑もきっと満足して逝けたはずなのですが、解散になってしまって・・今は経営が変わっているそうです。
    残念(T_T)

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